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2006年9月30日 (土)

(他)!・・・ちよっと、びっくり

先日の事。

ちょっとした事で病院へ行った。仕事帰りなので、救急外来。で、受付を済ませて待合で待っていると・・・

前の通路をオッサンが歩いている。赤いトレーナーを着て腹がでっぷりと出て・・・?・・・腰の後ろにひも・・・?・・・ひも? 青いロープが輪になって、伸ばした後ろで青シャツの人がロープを持って歩いている・・・! わぉ・・・あらま。

と、いう訳であったのだ。うーむ、そぉか。逃げる時にどこぞ怪我でもしたんかな? それにしては、えらい元気そうな。「わしゃあ、悪いんぞよ!」いう顔しとるが。

うーん・・・ヒマなんかなー・・・よぉ分からんが。

しばらくして、中待合(診察室の前)で待っていると、その一行がまたやって来た。あらま。私の目の前を通って、私のとは違う診察室に入り、医者に状況を聞いていたようだった。そして、私が診察を受ける前に、また私の目の前を通って出て行った。

うーん、警察もご苦労なこっちゃのー。仕事とは言えのぉ。

そぉか。警察は、たいがいこういうことをする訳か。ご苦労さんじゃのー・・・。

しかし・・・あーゆーオッサンらも、元気有り余っとるんじゃろけん、なんぞ普通の事すりゃ、大概たいした事が出来るんちゃうんかなぁ。違うかな? 

わが身の情けなさを振り返って、つくづくそう思うが、違うんかなー・・・。よー、わからん。

2006年9月 4日 (月)

(他)小顔人気と細い首

いつ頃からか知らないが、顔は、大きいよりも小さい方が、世間で人気があるらしい。それを知るまで、そんな事を考えた事も無かったのだが。

あんまり、テレビや雑誌で言うもんだから、私もなんとなく、顔は小さい方が良いような気が、しだいにして来た。確かに、単に元々の大きさの問題でなく、びっしりと脂肪の詰まったようなデカイ顔は、気色悪い。心の中までコレステロールが詰まったような印象を受ける事が、たまにある。私も他人事では無いのだが・・・。

さて、そういう外見を問題にする・気にするのは、どうも女性に多いようだ。まぁ、女の人はかなり細かい事にもうるさいからなー。

で、そういう女性が言っているのを聞いたり読んだりすると、首は細いのが良いらしい。自身にあてはめれば、小顔で細首になりたいらしい。危ういくらい細い首が理想だという記事も見たように思う。

そこで、ちょっと「?」。あのー・・・、相対的な問題ですが・・・

「首が細いと顔がデカく見えてしまう」

のでは? いや、私の思い過ごしかもしれませんが。しかし、いかがでございましょう。気のせいか、

「小顔の人って、首の幅が顔ぐらいある」

ように思いますが。これって、細い首? なおかつ、

「小顔の人は、肩の筋肉もけっこう分厚い」

ように思いますが、いかがでしょうか。筋肉隆々という意味では無く、しなやかでふっくらとした筋肉がなで肩を形作っているように思うんだけど。

つまり、世間で言う「小顔」とは、元々も小さいのかもしれないが、他のものと比べた相対的な印象で「小さく見えている」のかもしれないと、私は思う。他のものとは、もちろん「身体の他の部分」だ。すると当然、顔のすぐそばの首や肩になるだろう。

小顔になりたいと言っても、絶対値は変わらない。では、その場合、余分な脂肪を落とす事がまず第一だろう。では一番良い方法はマッサージなどでは無く、運動ではなかろうか。ついでに首と肩も鍛えれば、ますます余分な脂肪が落ち、筋肉は少し大きくしなやかになる。顔の筋肉はそんなに大きくならないのだから、一挙両得で小顔になる、少なくとも今までの自分より小顔に見えるのではなかろうか。きりっと締まった。一年やそこらでは、なかなか結果が出ないだろうが。

あー、私もひとごとでない。頑張って脂肪を落とせば、男前に見えるようになる・・・事は無いか、ハハハ・・・あぁ、虚しい。

2006年8月19日 (土)

(他)松本清張、小考

松本清張氏が存命の頃、その作品は結構読んだ。いま振り返れば、作品数の膨大さ、その世界の多様さ・深さに比べて、読んだとは言えない量だと痛感するが、推理小説の面白さは自分なりに堪能させてもらったと思う。

その頃思っていたのは、「さしもの松本清張も、年取るといかんもんやな」という事だった。何がどうだと言えば、長編の中で繰り返しがやたらと多くなってきたからだった。探偵の、事件の分析・推理が、何度も何度も作品中に出てきて、正直「なんじゃ、こりゃ」と思う作品がいくつもあった。しばらくして繰り返しが減り、「誰かの意見を聞き入れたんだろう。偉いな」というふうに思った。

もうひとつ思っていたのは、「探偵が何かに気づいた」というような表現や、「探偵や犯人が、そこで何かをした」というような隠した表現が、繰り返しが多くなる前に長編短編を問わず結構あり、正直「こんなん、反則じゃろが」と思っていた。

知り合いも「推理小説は、すうーっと読める」とか言う者が多かったが、「これじゃ、すーっとは読めんで」と、ずっと思っていた。

最近思う。十年以上前からかもしれない。私が間違っていた、と。

どちらも、清張の「推理小説をもっとよく楽しんで欲しい」という思いを込めた、読者が楽しむためのサービスだったのではなかろうか、と。

そんな事は、推理小説に詳しい人なら、当然初めから分かって楽しんでおり、知らないのがただの無知なのだろうけれど、以下「清張氏のサービス」と思われるものについて、私なりの考えを示しておこう。

まず、例えば「目が凝固となった」というような、探偵が何かに気づいたという表現。これは、アメリカなど(? 詳しく知らないので、ご容赦下さい)であった「読者への挑戦状」と同じものではなかっただろうか。

つまり、「読者への挑戦状」と同じく、

「さあ、探偵と同じように推理して下さい。探偵は、何に気が付いたのでしょう? あなたは、犯人が分かりますか? 動機が分かりますか? 犯行の背景が分かりますか? 推理のための資料は全て出ています。もちろん、謎解きの所で『今まで無かった資料』が出ることもありますが、大筋は出ています。探偵と違う方法で推理してもかまいませんよ。紙と鉛筆のご用意はよろしいですか? もう一度、いや、何度でも読み返して頂いて結構です。そんじょそこらのパズルより、出来は良いですから。では、どんでん返しにお気をつけて」

という事ではなかったかと、つくづく思う。犯人の犯行を「何かをした」と表現するのも、同じ意図であったと思う。

推理小説を楽しむというのは、真面目に考えれば、不謹慎なものだろう。扱うのは「犯罪」であり、その多くは「殺人」だからだ。現実世界で、実際の殺人事件を「楽しんで推理」したりしたら、そりゃ、やっぱ「とんでもない事」で、たぶん誰も「楽しんで」などはいないだろう。「推理」は働かせるかもしれないが。だが、小説なら虚構だ。パズルを楽しむように「推理」したところで、人間性に疑問を持たれる訳では無い・・・たぶん・・・。清張のような社会派なら、謎解きは犯人や犯行そのものだけで無く、その背景のいろいろな世界にも及ぶ。作品中に登場するいろいろな世界も味わいつつ、その世界を基にして謎解きをし、なおかつ、その世界の解明も事件をもとに行なう、つまり「推理する」事も出来るのだ。50も過ぎて、「惜しい事をしたもんじゃなー」と、つくづく思う。

次に「繰り返しの多さ」。これは、私が思うに、上記の「挑戦状」を理解しない読者(私のような者)が多く、「それならば」と方向転換したものではなかったのか。つまり、「挑戦状」を分かってくれないので、では探偵と同じ気持ち・その時その時の「推理・事件解明状況」をご堪能下さい、というサービスだったのだと思う。ただ単にすーっと読むだけの読者にも、推理の面白さを分かってもらおうとしての工夫だったのだろう。何度も何度も、しつこいくらい同じ事を同じように考える。確かに、考えてみれば、自分も仕事ではそうしているかもしれない。推理小説の探偵のようにはいかないが、時々思い出しては、「あの部分はこうじゃったな」とか「あそこは今度、ちよっとこう変えてみようか」とか思っている。大概の人が、仕事に対してはそうではないのだろうか。だから、何度も推理するのも、出来ん事では無いのだろう。なかなか、思うだけで、実際には出来んのだが・・・。清張氏のその工夫が、最も上手くいったのが、晩年の傑作「熱い絹」だったのではないかと、私は思う。

今は、あまりヒマが無いのだが、どこかの出版社が「もう一度、松本清張」という感じで、清張全作品を発表順に再出版してくれたら、上記のような考えも検証しつつ、読んでみたいものだ。

2006年8月16日 (水)

(他)おやじギャグは寒いか?

何年前か忘れたが、おやじギャグに対して「さぶっ」「寒いっ」という反応が流行った。いまでも、充分通用するようだが。

しかしなぜ、「寒い」という表現になったのだろう?

あまりにもぴったり過ぎる表現で、それ以外考えられないのだが、本来、物事に対する人間の反応は、さまざまな筈だ。なのになぜ、「寒い」と感じ、そう言った奴が居て、それが広く一般に受け入れられ、かつ流行ったのだろうか?

きっと、とても寒かったのだろう。たぶん、北極と南極が掛け算で突然現れたのだろう。

ゆけーっ! ゆくのだ、ギャグおやじ達よ。言って言って、地球温暖化を阻止するのだーっ。いや、ホントに出来るかも。

最近、ネット上で、そんな掲示板を見かけた。やっぱり、同じような事を考える奴がいるもんだ。

では戻って、なぜ「寒い」と感じるのだろう? 「暑い」ではいけない?

うーん、では逆の場合を考えてみよう。

つまり、おやじギャグで無いギャグならどう感じるか、という事。

しょーもないギャグで無く、「わっ、おもろい!」というギャグ。

うーん、と。その場合は、全身で大笑いするから、身体がちょっとあったまるかもしれない。脳から全身の神経の作用によって。脳内物質も良いのが出るだろう。

では、おやじギャグでは、当然そうはならない訳だ。引くほど動ける余裕は無く、こけるゆとりも無く、返しも突っ込みも思い付かず、かと言ってパニックになる程の水準ではもちろん無く、しょーもないと思う心すら働かず、固まってしまう力などもちろん出ず、無視するのも出来ん程しょーもなく、ただひたすら「寒い」のだろう。心理的にも生理的にも。ギャグの真理としても、生物の真理としても。人間社会の必然として、そしてこの宇宙の必然として。

そう考えると、おやじギャグに対する「寒い」という表現は、なかなか優れた、人類史に残るものであるのかもしれない。

私も、何か残してみたいものだ。

2006年8月15日 (火)

ごあいさつ

皆様、はじめまして。

野球狂(だった)おっさん、亀井聡と申します。

これからブログを開始し、いろいろと好き放題な事を言ってみたいと思っています。どちら様も、何卒よろしくお願い致します。

内容は、野球の話が主になります。私のホームページをご覧になった方は、「野球の評価」の話かと思われるでしょうが、その話はほとんどしないつもりです。で、まぁ普通とちょっと違う視点からの野球の話になる訳ですが・・・しかし、ホームページにも書きましたが、近鉄バファローズのいない野球は、全く気持ちが入りません・・・でも、進めないと・・・。

さて、そう言ってはみたものの、まだ「ブログ」がどんなものか、ナンダカヨクワカラナイ。

図など載せてとか思ってはいるものの、という所です。ただ、普通とちょっと違う視点、という事だけは間違い無いと言えると自負しております。

なお、野球以外の話の時はタイトルに(他)と表示します。また、自分のホームページ(「野球の評価方法」)も常に宣伝したいので、厚かましながらリンクに載せております。野球に興味の有る方も無い方も、何卒一度お立ち寄り下さいますようお願い申し上げます。手書きで、ちょっと付き合いづらいホームページだと思いますが、色々こらえながらお読み下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。

では、次回より、なにとぞよろしく。

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