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2006年8月20日 (日)

ストライクゾーン、小考

ストライクゾーンについて、考えてみたい。

投球の分析や打撃の分析で、まぁ例えば試合中にテレビ画面に「ストライクゾーン」が出る事がある。ほとんど投手の方向から見たもので、四角形になっている。細かく分析する時は、その四角を九つにわけ、投球の球種別に印を変えたりして表示している。野村スコープ以来、非常に細かい分析がなされているように思う。

さて、少し考えてみよう。

ストライクゾーンは、立体ではないだろうか?

Strike

図に示したように、斜めから見るとそれが良く分かるだろう。

打者は、上下左右だけでなく、前後の拡がりにも対応しているのだ。緩急の変化、タイミングのずれに常に対応しているとも言えるだろう。たいしたもんではないだろうか。

速球派なら打者は少し捕手の方へ下がるから、ゾーンを通った球に対応しなければいけない。が、球が速いので、ストライクからボールになる変化球に対応するのは、至難の技だろう。

技巧派で、球一個や半個の出し入れをする投手なら、ゾーンの外側ぐるりに、ほぼ球一個ずつストライクが広がると考えられる・・・わぁおっ! そんなん相手しとんかい。ホームプレートの五角形で言えば、前面と後ろの二面を除く部分、つまり上下左右のぐるり全てにほぼ一個ずつストライクが拡がる。好投手なら、その一角、立体で考えれば八箇所、をかすめる球を投げてくる。打者はそれを見極めて、打つ。

いやいや、人間業とは思えんのー。

プロの人というのは、案外、自分で思っているよりも相当難しい事をやっているのではないかと思う。その難しさを、素人に説明するのは、なかなかむつかしかろう。「野球選手」はアホやから、という口の悪い奴もいるだろうが、素人に説明するのが下手なのをアホだというなら、囲碁の棋士とかもアホやという事になってしまうだろう。違うかな?

ここはひとつ素直に、プロの水準の高さに感心したいものだ。

2006年8月19日 (土)

(他)松本清張、小考

松本清張氏が存命の頃、その作品は結構読んだ。いま振り返れば、作品数の膨大さ、その世界の多様さ・深さに比べて、読んだとは言えない量だと痛感するが、推理小説の面白さは自分なりに堪能させてもらったと思う。

その頃思っていたのは、「さしもの松本清張も、年取るといかんもんやな」という事だった。何がどうだと言えば、長編の中で繰り返しがやたらと多くなってきたからだった。探偵の、事件の分析・推理が、何度も何度も作品中に出てきて、正直「なんじゃ、こりゃ」と思う作品がいくつもあった。しばらくして繰り返しが減り、「誰かの意見を聞き入れたんだろう。偉いな」というふうに思った。

もうひとつ思っていたのは、「探偵が何かに気づいた」というような表現や、「探偵や犯人が、そこで何かをした」というような隠した表現が、繰り返しが多くなる前に長編短編を問わず結構あり、正直「こんなん、反則じゃろが」と思っていた。

知り合いも「推理小説は、すうーっと読める」とか言う者が多かったが、「これじゃ、すーっとは読めんで」と、ずっと思っていた。

最近思う。十年以上前からかもしれない。私が間違っていた、と。

どちらも、清張の「推理小説をもっとよく楽しんで欲しい」という思いを込めた、読者が楽しむためのサービスだったのではなかろうか、と。

そんな事は、推理小説に詳しい人なら、当然初めから分かって楽しんでおり、知らないのがただの無知なのだろうけれど、以下「清張氏のサービス」と思われるものについて、私なりの考えを示しておこう。

まず、例えば「目が凝固となった」というような、探偵が何かに気づいたという表現。これは、アメリカなど(? 詳しく知らないので、ご容赦下さい)であった「読者への挑戦状」と同じものではなかっただろうか。

つまり、「読者への挑戦状」と同じく、

「さあ、探偵と同じように推理して下さい。探偵は、何に気が付いたのでしょう? あなたは、犯人が分かりますか? 動機が分かりますか? 犯行の背景が分かりますか? 推理のための資料は全て出ています。もちろん、謎解きの所で『今まで無かった資料』が出ることもありますが、大筋は出ています。探偵と違う方法で推理してもかまいませんよ。紙と鉛筆のご用意はよろしいですか? もう一度、いや、何度でも読み返して頂いて結構です。そんじょそこらのパズルより、出来は良いですから。では、どんでん返しにお気をつけて」

という事ではなかったかと、つくづく思う。犯人の犯行を「何かをした」と表現するのも、同じ意図であったと思う。

推理小説を楽しむというのは、真面目に考えれば、不謹慎なものだろう。扱うのは「犯罪」であり、その多くは「殺人」だからだ。現実世界で、実際の殺人事件を「楽しんで推理」したりしたら、そりゃ、やっぱ「とんでもない事」で、たぶん誰も「楽しんで」などはいないだろう。「推理」は働かせるかもしれないが。だが、小説なら虚構だ。パズルを楽しむように「推理」したところで、人間性に疑問を持たれる訳では無い・・・たぶん・・・。清張のような社会派なら、謎解きは犯人や犯行そのものだけで無く、その背景のいろいろな世界にも及ぶ。作品中に登場するいろいろな世界も味わいつつ、その世界を基にして謎解きをし、なおかつ、その世界の解明も事件をもとに行なう、つまり「推理する」事も出来るのだ。50も過ぎて、「惜しい事をしたもんじゃなー」と、つくづく思う。

次に「繰り返しの多さ」。これは、私が思うに、上記の「挑戦状」を理解しない読者(私のような者)が多く、「それならば」と方向転換したものではなかったのか。つまり、「挑戦状」を分かってくれないので、では探偵と同じ気持ち・その時その時の「推理・事件解明状況」をご堪能下さい、というサービスだったのだと思う。ただ単にすーっと読むだけの読者にも、推理の面白さを分かってもらおうとしての工夫だったのだろう。何度も何度も、しつこいくらい同じ事を同じように考える。確かに、考えてみれば、自分も仕事ではそうしているかもしれない。推理小説の探偵のようにはいかないが、時々思い出しては、「あの部分はこうじゃったな」とか「あそこは今度、ちよっとこう変えてみようか」とか思っている。大概の人が、仕事に対してはそうではないのだろうか。だから、何度も推理するのも、出来ん事では無いのだろう。なかなか、思うだけで、実際には出来んのだが・・・。清張氏のその工夫が、最も上手くいったのが、晩年の傑作「熱い絹」だったのではないかと、私は思う。

今は、あまりヒマが無いのだが、どこかの出版社が「もう一度、松本清張」という感じで、清張全作品を発表順に再出版してくれたら、上記のような考えも検証しつつ、読んでみたいものだ。

2006年8月18日 (金)

スイング論、違う角度から見ると(2)

前回の続きです。

一番前にバットを持っていった時、バットは地面に水平で前向き。そのバットは、もちろん「手」で持っている。「手」は腕の先。当たり前である。一番前にバットを持っていった時、腕は両方とも真っ直ぐ前向きに伸びている。腕は、肩から出ている。当たり前だ。腕が、腹や腰から出たりしてたまるかい。

さて。と、いう事は。

一番前にバットを持っていった時、バットの先端から肩まで、ほぼ一直線の水平になっている、のではなかろうか。完全ではないだろうが。

では、その場合、「バットは、ほぼ肩の高さにある」のではなかろうか?  よろしいでしょうか。では、ここで問題。

ストライクゾーンの高さは、どこからどこまでだっただろう?

規則によれば

下限 : ひざの最も突き出たところ

上限 : 肩の上部とズボンのベルトとの中間点に引いた、水平のライン

となっている。

では、一番前にバットを持っていった時、バットの高さはストライクソーンより上になるのでは? 打つ球は、だいたいストライクゾーン及びその周りに来たものだろうから、プロの打者が強打した時、打った後のバットの動きは「ほぼ必ず、アッパースイングのようになる」のではないだろうか?

以前、掛布雅之氏がテレビ番組の中で「ホームランバッターって、だいたいダウン→レベル→アッパーの打ち方になるんですよね」と言っていたが、バットの動きのみに注目するなら、こういう事ではないのだろうか・・・

違うかな?

2006年8月17日 (木)

スイング論、違う角度から見ると(1)

今回は、ちよっとスイング論を考えてみたい。ただ、私は素人なのでなにぶん割引の程をお願いします。

スイング論というと、どんなものが思い浮かぶだろう。ダウンスイング、レベルスイング、アッパースイングといったところだろうか。レベルアップスイングというのもある。

昔々、ダウンスイングが日本に紹介された時は、ほんとに大根切りのようだったらしい。後日、球を叩く時は水平に、とレベルスイングに修正されるのだが、構えた位置から一直線に振り下ろすのが相変わらず基本らしい。まあ、確かにアッパーでは振り遅れそうな感じがしないでもないが。

これらのスイング論をざっとまとめると、「横から見て、バットのみの動きを論じている」とは言えないだろうか?

もちろん、現実には、身体の各部の動き・使い方などさまざまな深いものがあるだろう。特にプロともなれば、企業秘密として、秘伝のようなものがあるだろう。ちょっと、知りたいもんだが。

で、それは置いといて(笑)、「横から見たバットの動きを論じている」とまとめてみたい。無茶は承知で。

さて、タイトルにあるように、それを違う角度から見てみたい。違う角度、つまり「上から」見るのだ。どうなるだろう?

バットは、普通に振れば、楕円軌道を描くだろう。特に先端を見れば。遠心力で打つのだから、真っ直ぐ押したりはしないだろう。そして、それを上から見るならば必ず「楕円」。違うかな? プロだろうが素人だろうが「楕円軌道」である事に変わりは無いだろう。水準は、月とスッポン以上のものがあるが。で、誰がどんなに振っても楕円軌道。もし楕円で無く、真円なら、右打者でも左打者でも、ものすごい引っ張りのファウル打ちになるのではなかろうか。少なくとも、センター中心に打ち返すのはなかなか難しかろう。

では通常上から見た場合は「楕円」、すなわち「後ろから前に」バットが動く。ダウン、レベル、アッパーとも。えーと、バットの先端を見れば、構えから一度後ろへ行くだろう。それも、楕円の渦巻きの一部なのだろうが。

上から見た場合、楕円軌道は、前に向かって1㎝でも1mmでも長く伸びる方が良いのではなかろうか? 短いほうがいい? 長いほうが良いと思うが、いかがでございましょうか。より強い力を与える事にならないだろうか、長い方が。後ろから前に向かって、少しでも前へ前へと。思いっ切り、前に向かって軌道を長くするためには、バットを1㎝でも1mmでも前に伸ばすべきではないだろうか。インパクトの後のフォロースルーで、少しでも前へ。

たぶん、一番前にバットが行った時、軌道が最も長くなると思われる。後ろの、振り出しのときの話は別として。では、最も前にバットが行った時は、どんな体勢なのだろう?

もちろん、両腕を真っ直ぐ前に伸ばし、バットは地面に水平に真っ直ぐ前向き、先端が身体の正面に前向きになっている状態だろう。プロの選手がホームランを打ったときは、だいたいそんなフォロースルーになっていると思うが、どうだろうか? 古いかもしれないが、王さんの全盛時代はそんな感じだったと思う。昔のビデオや写真で確かめていただければ、間違いないと解るだろう。今の選手達も、もちろん同様だ。まぁ、中にはどう見ても変な格好でホームラン打つ奴もいるが・・・いや、その話がしたいのでは無い。

さて、意外に話が長くなったので(歳を取るといけません)、続きは次回にしたい。

                            (この項つづく)

2006年8月16日 (水)

(他)おやじギャグは寒いか?

何年前か忘れたが、おやじギャグに対して「さぶっ」「寒いっ」という反応が流行った。いまでも、充分通用するようだが。

しかしなぜ、「寒い」という表現になったのだろう?

あまりにもぴったり過ぎる表現で、それ以外考えられないのだが、本来、物事に対する人間の反応は、さまざまな筈だ。なのになぜ、「寒い」と感じ、そう言った奴が居て、それが広く一般に受け入れられ、かつ流行ったのだろうか?

きっと、とても寒かったのだろう。たぶん、北極と南極が掛け算で突然現れたのだろう。

ゆけーっ! ゆくのだ、ギャグおやじ達よ。言って言って、地球温暖化を阻止するのだーっ。いや、ホントに出来るかも。

最近、ネット上で、そんな掲示板を見かけた。やっぱり、同じような事を考える奴がいるもんだ。

では戻って、なぜ「寒い」と感じるのだろう? 「暑い」ではいけない?

うーん、では逆の場合を考えてみよう。

つまり、おやじギャグで無いギャグならどう感じるか、という事。

しょーもないギャグで無く、「わっ、おもろい!」というギャグ。

うーん、と。その場合は、全身で大笑いするから、身体がちょっとあったまるかもしれない。脳から全身の神経の作用によって。脳内物質も良いのが出るだろう。

では、おやじギャグでは、当然そうはならない訳だ。引くほど動ける余裕は無く、こけるゆとりも無く、返しも突っ込みも思い付かず、かと言ってパニックになる程の水準ではもちろん無く、しょーもないと思う心すら働かず、固まってしまう力などもちろん出ず、無視するのも出来ん程しょーもなく、ただひたすら「寒い」のだろう。心理的にも生理的にも。ギャグの真理としても、生物の真理としても。人間社会の必然として、そしてこの宇宙の必然として。

そう考えると、おやじギャグに対する「寒い」という表現は、なかなか優れた、人類史に残るものであるのかもしれない。

私も、何か残してみたいものだ。

2006年8月15日 (火)

無重力の打撃

第一回目の記事です。(あいさつ除く)

いきなり変な事を言うようですが、「無重力の状態での打撃」について考えてみましょう。まずは、バットとボールだけ。人間は、無し。

さて、この場合人間がいないので、当たったという事になります。バットの芯にボールが当たる事にしましょう。ボールの軌道は真っ直ぐ。一直線。バットの先端からグリップエンドまでの向きに対して直角。まあ、言わば普通の打撃で「直球を真っ芯で捉えた」状態ですね。

さて、そう仮定した場合、ボールが当たってから、バットはどんな風に動くでしょう? 方向などは、普通の打撃と比べて考えてみたいと思います。

実験して確かめて欲しいのですが、まぁそうも行きません。(笑)

で、私の考えでは、バットの先端はボールに押し込まれたように後ろへ動き、握りの方向(グリップエンド)は逆に前向きに動く、つまり「バット全体としてはくるりと回る」のではないかと思います。おそらく、バット全体が回らずに後ろへ行く事は無いと思います。なぜなら、撃芯の位置がバットの重心では無いからです。そのため、くるくる回りながら、先端方向か握りの方向か判りませんが、斜め後ろへ行くのではないかと思います。

で、仮に、私の考えが当たっているとしましょう。「バット全体としてはくるりと回る」のであれば、そこに人間を足して考えた場合、打撃として「バットでボールを打つ」ためには、くるりと回るのを防ぐべきではないでしょうか? どうすれば防げるでしょう?

くるりと回るのを防ぐためには、「握りの場所の前側に手がなければいけない」のではないでしょうか? そして、その前側の手を後ろ向きに動かす、もしくは後ろ向きに力を入れるべきでは?

あれれ・・・? 実際の打撃と正反対・・・?

実際の打撃は動きが速いので、そんな事を考える必要は無いのでしょうが、10分の1秒とか100分の1秒単位で考えれば、態勢として「バットの前側に手が必要」で、「その手でバットの回転を防いでいる」とは言えないでしょうか?

うーむ。もうちょっと、考えてみましょうか。

バットの前側の手で回転を防いでいる。回転しようとするバットの動きは、前側の手に伝わっている。動きの伝わった手でその回転を防ぎながら、かつその「くるりと回ろうとする動き」よりも、はるかに速くバットを動かしているのが、実際の打撃ではないでしょうか。

最近は知りませんが、昔は右打者の場合、左手で引き右手で押す、とプロの方が言うのを聞いた事があります。でも、今回の考え方がもし正しいなら、押してはいけないのではないでしょうか? たぶん、押すと言う方は、球の捉えかたが正確で、ミートの瞬間の体勢がきちんとしていて、バットと右手が90度になっており、打った感触が右打者の場合右手にしっかり伝わるので、「押す」という感覚になったのではないかと、私は考えております。こじつけかもしれませんが。

くるりと回るのがもし本当なら、握りの方を押したら球を弾かない事になりますから。

ずいぶん、おかしな理屈を言う奴だと思われるでしょうが、一度考えて見ませんか?

ほんと、できれば宇宙空間で実験してほしいですねー ・・・ ホントに。

NASA-っ、どないやぁーっ !? (笑)

大変失礼いたしました。次回からも、どうかよろしく。

ごあいさつ

皆様、はじめまして。

野球狂(だった)おっさん、亀井聡と申します。

これからブログを開始し、いろいろと好き放題な事を言ってみたいと思っています。どちら様も、何卒よろしくお願い致します。

内容は、野球の話が主になります。私のホームページをご覧になった方は、「野球の評価」の話かと思われるでしょうが、その話はほとんどしないつもりです。で、まぁ普通とちょっと違う視点からの野球の話になる訳ですが・・・しかし、ホームページにも書きましたが、近鉄バファローズのいない野球は、全く気持ちが入りません・・・でも、進めないと・・・。

さて、そう言ってはみたものの、まだ「ブログ」がどんなものか、ナンダカヨクワカラナイ。

図など載せてとか思ってはいるものの、という所です。ただ、普通とちょっと違う視点、という事だけは間違い無いと言えると自負しております。

なお、野球以外の話の時はタイトルに(他)と表示します。また、自分のホームページ(「野球の評価方法」)も常に宣伝したいので、厚かましながらリンクに載せております。野球に興味の有る方も無い方も、何卒一度お立ち寄り下さいますようお願い申し上げます。手書きで、ちょっと付き合いづらいホームページだと思いますが、色々こらえながらお読み下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。

では、次回より、なにとぞよろしく。

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